東京地方裁判所 平成元年(ワ)3761号 判決 1997年5月22日
原告
菊池哲夫
右訴訟代理人弁護士
香川一雄
右訴訟復代理人弁護士
飯尾昭憲
被告
首都高速道路公団
右代表者理事長
三谷浩
右訴訟代理人弁護士
松崎正躬
同
竹内桃太郎
同
奥毅
主文
一 本件訴えのうち、被告が原告に対してなした昭和六三年一一月一七日付停職三か月の懲戒処分は、これを無効であることを確認する(但し、主位的)、これを取消す(但し、予備的)、との各訴えをいずれも却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 (主位的請求)
被告が原告に対してなした昭和六三年一一月一七日付停職三か月の懲戒処分(以下「本件懲戒停職処分」という。)は無効であることを確認する。
(予備的請求)
本件懲戒停職処分はこれを取消す。
二 被告は原告に対し、五三四万九六〇六円及びうち四九四万九六〇六円に対する平成元年四月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
原告は、神奈川県知事が計画決定し被告が事業者となって実施することとなっていた川崎縦貫道(一期)建設工事につき、かっ(ママ)て被告の職員として在職中、用地確保、維持管理費等の観点から批判を加え、他のルートに変更のうえ建設すべきであるとの意見を新聞紙上に投書した。被告は、この投書により著しく名誉が毀損され職場秩序が乱されたとして、就業規則に基づき原告を本件懲戒停職処分に処した。本件は、これを不服とした原告が被告に対し、主位的に本件懲戒停職処分の無効確認を、予備的に本件懲戒停職処分の取消しを求めるとともに、本件懲戒停職処分が違法であったとして不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実及び前提事実
1 当事者関係
(一) 被告は、首都圏整備法に規定する首都圏整備計画を根幹として建設大臣の指示する基本計画に基づいて道路法により路線認定と自動車専用道路の指定を受け、かつ都市計画法により都市計画決定された有料の自動車専用道路について、その新設・維持・修繕等の業務を行う公団である。
(二) 原告は、昭和三七年一一月一六日、被告に機械職として採用され、昭和五八年一二月からは東京保全部三宅坂施設管制所管理班に所属し、昭和六二年六月からは神奈川管理部花園橋施設管制所施設第二班に所属するなど、専ら、出先の管理部などで首都高速道路に付設する機械設備に関係する工事の監督、その運転操作指導、資料の作成・管理等に従事してきており、業務上、路線計画や構造について直接関係したことはなかった(争いのない事実及び原告本人尋問の結果)。
なお、原告は、平成三年六月三〇日、神奈川管理部花園橋施設管制所施設第二班長を最終役職として定年により退職した(争いのない事実及び<証拠略>)。
2 川崎縦貫道(一期)として国道四〇九号ルートが決定されるに至った経緯
川崎市は、市域が東西に長くなっているにもかかわらず、東西方向の道路整備が相対的に遅れ、慢性的な交通混雑や居住環境の悪化がもたらされており、他方、首都圏における中核都市として位置付けられ、その整備・発展を促進するためにも東京都心、他の中核都市との連絡を強化するとともに、市内においても、臨海地域、川崎都心部、内陸部を相互に結ぶことが不可欠な状況にあった。そこで、神奈川県知事は、このような状況に対応して、交通混雑の緩和や居住環境の向上を図り、あわせて、中核都市としての機能を充実させるために川崎縦貫道建設を計画し、この一期区間に関するルート・構造等を検討し、都市計画原案を作成することを目的として川崎縦貫道計画調整協議会(以下「協議会」という。)を設置した。この協議会委員は、建設省関東地方建設局から八名、神奈川県から四名、川崎市から五名、被告から一名出席することによって構成された。
協議会は、昭和六〇年一二月二七日に第一回を開催し、その後、ルート・構造の検討を進め、翌六一年九月一二日に第二回を開催し、一期区間についてはルートを一般国道四〇九号沿い、構造を高架及び堀割とする案を最有力案とし、同案を同年一〇月一七日の川崎市議会議員全員説明会において説明した。しかし、同説明会においては、ルート見直しの意見が強かったことや住民からルート見直しの陳情書が出されたことから、川崎市議会は、同年一二月一八日、「川崎縦貫道路等に関する特別委員会」を設置し、以後、同委員会において川崎縦貫道に関する重点的な審議がなされることとなった。
他方、協議会は、さらに検討を重ね、昭和六二年一一月九日、ルートを一般国道四〇九号沿い、構造を高架及び堀割(一部蓋かけ)とする最終案を決定し、この最終案を都市計画原案とし、同月一〇日及び一四日に、協議会の事務局である建設省川崎国道工事事務所が「川崎縦貫道路等に関する特別委員会」に対し説明し、翌一五日、各紙が川崎縦貫道一期分は国道四〇九号ルートに決定された旨報じた。
右の川崎縦貫道は湾岸道路から川崎市を縦貫し、内陸部に至る計画道路であり、一般部四車線及び専用部四車線からなる道路である。
整備効果として、交通混雑の緩和と沿線環境の改善、交通機能の向上、地域整備の促進及び地域の活性化、良好な公共空間の創出が挙げられている。
川崎縦貫道は構造上二つに分かれ、一つは、地方公共団体等を介さないで国が直轄事業として行う一般国道四〇九号の「一般部」であり、他の一つは、被告が有料道路事業として建設する高速道路部分(高速川崎縦貫線)の「専用部」である。
なお、本件で問題となっている高速川崎縦貫線の範囲は、いわゆる「一期区間」、すなわち、国道四〇九号ルートでいえば川崎市川崎区浮島町地先から同市同区富士見町に至る延長約七・九キロメートルの区間であり、東京湾に接する浮島から一般国道一五号と交差するところまでである。一般国道一五号以西、東名高速道路に至る部分が二期区間とされていたが、前記のとおり、川崎市議会においてルート選定され、公に発表され、諸手続が進められたのは一期区間であった。
3 本件投書
原告は、昭和六三年九月三日付け神奈川新聞に左記内容の投書(以下「本件投書」という。)を行い、該投書は、同日付け同新聞のオピニオン欄(<証拠略>)に、顔写真入りで掲載された。
記
川崎縦貫道は河川敷利用を
道路公団勤務 菊池哲夫 五七歳
急激に訪れた自動車社会。道路建設が追いつかず、特に首都圏の渋滞の慢性化、さらには名ばかりとなった「首都高速」。この交通渋滞緩和には都県境ルートの外郭環状道や、四、五〇キロ円の圏央道の早期完成が絶対必要だ。
東京湾横断道の受け皿、実質的外郭環状線の性格を持つ川崎縦貫道一期の地元説明会の本紙記事から察しても、東名までの二期はもちろん、一期八キロも幻の道路で終わりはしないか。
近年、特に都会地の道路建設は用地確保が至難で、用地が確保されれば道路が九割方完成とさえ言われ、用地確保が難航確実な市街地ルートを、平行する国有地の多摩川に変更し、早期完成すべきである。
河川敷への道路建設は、一〇キロの海をまたいだ瀬戸大橋、一五キロを橋とトンネルでつなぐ東京湾横断道に見るように、技術的には全く問題ない。地元説明会で住民が<1>代替地の要求<2>工事期間中の大渋滞<3>高架予定地の地下化などで善処を求めたのに対して、「前向きで・・・」と役人特有の「問題後任者送り」の姿勢は頂けない。
代替地は過去、首都高各路線で強く要求されたが、全く同一条件の土地などこの世に皆無で、折り合いが非常に難しく、首都公団始まって以来、代替地提供はゼロに近く、ましてや事業用地が多く、地価狂騰の川崎では至難の業だ。
一〇年を超すであろう工事期間中の大渋滞は、地元事業者には死活問題だろう。さらに既存首都高線とつなぐ大師インタチェンジでは上も下も大渋滞、死傷事故も心配される。自動車トンネルときては、高架道に比べ三倍の工事費、一〇倍の管理費、そして車両火災時の安全性も問題だ。
河川に高速道の柱を建てると、川幅が狭くなり水位が上がるとお役人は言うが、流れに沿った二本の柱と、第一国道などの既存横断橋の柱を見れば、水位上昇は全く問題外だ。
竹下内閣の重大使命は土地対策のはず。遊休地同様の河川敷を活用せず、既存市街地、民有住宅地をなぜ取り上げてつぶすのだろう。先般の建設白書は、国土の効率的利用による道路建設が急務と述べているではないか。
建設省は、挙げて、河川敷利用で道路建設促進に取り組めば、川崎縦貫道は立川市で中央道へも連結ができ、同時着工で早期開通も可能だ。
このルート変更の意義は大きく、県や川崎市が「東京湾横断道への出資見送り」をテコに使うなら、建設省も動かざるを得ないだろう。また、外郭環状道松戸~市川間一一キロが江戸川を利用するというのであれば、土地費は無料、効率的公共工事で首都圏の渋滞緩和に大いに役立つことは確かだ。
(座間市東原)
4 本件懲戒停職処分
被告は、昭和六三年一一月一七日、原告に対し、左記懲戒処分書(<証拠略>)及び懲戒処分理由書(<証拠略>)をもって本件懲戒停職処分を行った。
記
(一) 懲戒処分書(<証拠略>)
首都高速道路公団就業規則(昭和三四年首都公団規程第七号)四〇条の規定により下記のとおり懲戒処分する。
記
処分の種類 停職三か月
昭和六三年一一月一八日から昭和六四年二月一七日まで
この期間中の給与(年末特別手当を含む)は支給しない。
(二) 懲戒処分理由書(<証拠略>)
処分の内容
処分発令日 昭和六三年一一月一七日
処分効力発生日 右同日
処分理由書交付日 右同日
根拠規定 首都高速道路公団就業規則四〇条
処分の種類及び程度
停職三か月
昭和六三年一一月一八日から昭和六四年二月一七日まで
この期間中の給与(年末特別手当を含む)は支給しない。
処分の理由
貴殿は、標記の格及び職名の地位にあるところ、昭和六二年一二月一八日付けをもって、人事部長から文書をもって警告を受けたにもかかわらず、今回、昭和六三年九月三日付け神奈川新聞に投書し、この投書のなかで、川崎縦貫線(一期)につき、管理費及び代替地について、著しく事実に反することを述べ、あまつさえ、当該路線の選定が、公団として最適の決定であることを十分知悉しながら、同路線選定に批判を加えた。このことにより、地元関係者はもとより、関係各方面に多大な混乱を生ぜしめ、もって、公団の名誉は著しくき損され、公団業務の遂行が支障をきたしたほか、公団の職場秩序は著しく乱された。
この所為は、首都高速道路公団就業規則三条並びに四条一号、四号及び五号に該当するものである。
よって、同規則四〇条の規定に基づき停職三か月に付する。
5 本件懲戒停職処分の根拠となった就業規則等の定め
被告の就業規則等には次のとおりの定めがなされている。
(一) 就業規則(<証拠略>)
(職務の遂行)
三条 職員は、この規程を守り、上司の指示に従って、誠実にその職務を遂行しなければならない。
(禁止行為)
四条 職員は、次の各号に掲げる行為をしてはならない。
一号 公団の名誉をき損し、又は利益を害すること。
四号 職務上必要がある場合のほか、みだりに公団の名称又は自己の職名を使用すること。
五号 公団の秩序又は職場規律をみだすこと。
(給与)
二三条 職員の給与は、別に定める給与規程により支給する。
(懲戒)
四〇条 この規程に違反した職員に対しては、違反の程度に従い、それぞれ次の表に定めるところにより、戒告、減給、停職又は免職の懲戒を行う。
戒告 将来を戒める。
減給 情状により適宜給与を減額する。
停職 三か月以内の期間を定めて出勤を停止する。このときは、その期間中の給与は支給しない。
免職 予告しないで解雇する。
(二) 給与規程(<証拠略>)
(総則)
一条 公団の職員に対する給与の支給については、この規程の定めるところによる。
二条 職員の給与は、基本給及び諸手当とし、それぞれ次の各号に定める区分により支給する。
二号 諸手当は、特別都市手当、住居手当、時間外勤務手当、深夜手当、役職手当、特殊勤務手当、宿日直手当、管理職員特別勤務手当及び特別手当とする。
(特別手当)
一五条 特別手当は、原則として、毎年夏季、年末及び年度末において、それぞれ別に定める日に在職する職員に対してそのつど定める日に支給する。
二号 特別手当の額は、予算の範囲内において、その支給を受ける職員の勤務成績を考慮してそのつど定める。この場合において、別に定める管理又は監督の地位にある職員及び別に定める格にある職員に対しては、それぞれ別に定めるところにより加算する。
(三) 定期昇給等実施要領(<証拠略>)首都高速道路公団給与規程六条及び七条に規定する昇給の取り扱いについては、規程その他関係諸通達によるほか、この要領の定めるところによる。
(昇給有資格者)
昇給所要期間を良好な成績で勤務した者。
(昇給不適格者)
昇給所要期間中において、次の各号の一つに該当する者。
一 懲戒処分を受けるべき事由若しくはこれに準ずる事由に該当し、処分保留中の者、又は処分を受け若しくは受けることがなくなった時から一年を経過しない者。
(四) 被告理事長は、昭和六三年一二月八日、昭和六三年度年末特別手当支給基準について、左記のとおり決裁した(<証拠略>)。
記
昭和六三年一二月一日(以下「基準日」という。)に在職する職員(臨時職員を含み、管理又は監督の地位にある職員の特別手当に関する達(昭和四七年首都公団達第三号)に規定する職員を除く。以下同じ。)のうち次の各号に掲げる職員以外の職員。
(1) 首都高速道路公団就業規則二六条一項四号の規定により休職を命ぜられている職員
(2) 首都高速道路公団就業規則四〇条の規定により停職にされている職員
(五) なお、被告の就業規則には、人事院規則九―四〇(期末手当及び勤勉手当)一条三号のように、明文で、基準日における停職者に対し、特別手当を支給しない旨の規定は存しない。
二 争点
1 本件懲戒停職処分無効確認請求(但し、主位的請求)の訴えの利益の有無
2 本件懲戒停職処分取消請求(但し、予備的請求)の当否
3 本件懲戒停職処分の有効性
(一) 表現の自由と本件懲戒停職処分
(二) 本件懲戒停職処分事由の存否
(1) 本件投書内容と被告との関連性
(2) 本件投書内容の真実性
<1> 管理費について
<2> 代替地について
<3> 国道四〇九号ルートについて
(3) 被告の名称又は職名使用について
(4) 被告の名誉毀損・利益侵害・秩序及び職場規律紊乱の有無
(三) 本件懲戒停職処分と社会的相当性
(四) 裁量権逸脱の有無
(五) 本件懲戒停職処分手続の正当性の有無
(六)就業規則四〇条、労基法九一条違反の有無
4 不法行為に基づく損害賠償請求権の存否
(一) 不法行為の成否
(二) 損害の有無及びその額
第三争点に対する判断
一 本件懲戒停職処分無効確認請求(但し、主位的請求)の訴えの利益の有無
そもそも確認の訴えの利益は、原告の権利又は法律的地位に危険・不安が現存し、かつその危険・不安を除去する方法として原告・被告間にその請求について判決することが有効適切である場合にこれが認められるのであり、現在の紛争を解決するには、現在の権利又は法律関係の存否を確認するのが直接的かつ効果的であり、単なる事実又は過去の法律関係の確認は、本来、適切とはいえない。
もとより、過去の事実や法律関係の存否の確認であっても、現在の権利関係の個別的な確定が必ずしも紛争の抜本的な解決をもたらさず、かえって、それらの権利関係の基礎にある過去の基本的な法律関係を確定することが、現存する紛争の直接かつ抜本的な解決のために最も適切かつ必要であると認められるような場合には、その確認の利益を認めることができるけれども、本件においては、前記のとおり、既に原告は被告を定年退職しているうえ、被(ママ)告が本訴において請求している不法行為に基づく損害賠償請求の訴訟物中に原告・被告間の現在の法律関係の全てが包摂されているものと認められるから、本件においては、敢えて過去の事実や過去の法律関係の存否について確認を行うべき利益は認めがたい。
したがって、原告の本件懲戒停職処分の無効確認の訴えは確認の利益を欠き、右訴えは却下を免れない。
二 本件懲戒停職処分取消請求(但し、予備的請求)の当否
本件懲戒停職処分取消請求の訴えは、裁判所に対し、本件懲戒停職処分の取消しを求める形成の訴えと解されるところ、形成の訴えはその主体や要件が法律で個別的に決められている場合に限り、原則として訴えの利益が認められると解されるから、このような定めのない本件にあっては、本件懲戒停職処分取消請求なる訴えは不適法として却下を免れない。
三 本件懲戒停職処分の有効性について
1 表現の自由と懲戒処分
原告は、自己の見解を新聞紙上に発表することは憲法上保障された表現の自由であるから、本件投書に対する本件懲戒停職処分は、憲法二一条に違反した無効な処分である旨主張する。
しかしながら、憲法二一条は、国家が国民に対して保障した権利であって、企業と当該従業員との関係を直接規律するのではないから、憲法二一条の趣旨を当該就業規則の解釈等にあたり斟酌すべきであるということができるとしても、本件投書に対する本件懲戒停職処分が憲法二一条に違反し無効であるとはいえない。
したがって、この点に関する原告の主張は採用しない。
2 本件懲戒停職処分事由の存否
(一) 本件投書内容と被告との関連性
(1) 原告は、本件投書は、当時の政府、事業主体である建設省及び都市計画決定権限を有する神奈川県知事に向けてなしたのであって、同知事の計画決定及び建設省の命令に従って事業を行うにすぎない被告には何らの関わりのないことであるから、川崎縦貫道(一期)の選定についての原告の批判がこの決定権限もなければ承認権限もない被告に対する批判となる余地はなく、したがって、懲戒処分理由書に掲記された「当該路線の選定が、公団として最適の決定であることを十分知悉しながら、同路線選定に批判を加えた」との点は他人のことを強引に我事に関連づけているにすぎない旨主張する。
(2) なるほど、根幹的都市施設に係る都市計画は、都道府県知事が定める(都市計画法二九条二項三号)こととされ、川崎縦貫道(一期)の場合、都市計画権者は神奈川県知事であり、また、首都高速道路公団法(二九条一項一号、三〇条一項)によれば、被告は、都市計画決定が済んだ路線について、建設大臣から基本計画の指示を受けることによって、初めて当該路線の事業者であることが確定することとなるのであるから、都市計画決定が行われる以前の段階において、被告がその決定手続に関与する余地は法的には存しないといえる。
しかしながら、争点は、本件投書が本件懲戒停職処分の根拠となった就業規則三条、四条一号、四号及び五号に該当するか否かにあるのであって、いずれに向けて本件投書がなされたかは直接的には関わりのないことである。
(3) また、証拠(<証拠・人証略>)によると、被告は、都市計画手続に関する実務においては、都市計画決定以前の段階から、路線の都市計画原案の作成に実質的に参画していることが認められるのである。
すなわち、ルートの選定を始めとする都市計画案は、都市計画決定権を有する神奈川県が独自にすべてを作成するのではなく、一般的に都道府県知事が決定する都市計画案の元になる都市計画原案は、関係市町村が作成し県に提出することとなる。川崎縦貫道の場合は、その通過地である川崎市が都市計画原案を作成した。しかし、川崎市が都市計画原案を独自にすべて作成したわけではなく、一般的に東京周辺における大規模な道路整備プロジェクトについては、建設省関東地方建設局を中心とした協議機関が設けられ、広域的な見地で関係行政機関との合意形成を図っている。川崎縦貫道についても、前記のとおり協議会が設置され、実質的には協議会においてルート選定を始めとする都市計画原案が作成された。協議会の構成員となるのは、神奈川県(都市計画決定権者)、川崎市(神奈川県に対する都市計画原案提出者)、建設省(建設省関東地方建設局は協議会の会長という立場であり、建設省川崎国道工事事務所は川崎縦貫道のうち国道部分の事業予定者という立場である。)、被告(川崎縦貫道のうち高速道路部分の事業予定者)である。このような協議会に、未だ正式に当該路線の事業者と決まっていない被告が参加した理由は、将来において、被告による事業の実施が予想又は前提とされている場合には、被告は、いずれ、直接、首都高速道路として建設・管理するという立場から、その希望する案の提案等を行い、被告の考え方を都市計画決定に反映させる必要があったからであり、また、他の構成員からは、事業予定者としての被告の見解、あるいは、これまで首都高速道路を建設・管理してきた経験に基づく専門的意見が求められているからである。
(4) 以上のとおりであるから、この点に関する原告の主張は理由がない。
(二) 本件投書内容の真実性
(1) 管理費について
原告は、本件投書において、管理費に関し、「自動車トンネルときては、高架道に比べ・・・一〇倍の管理費」を要するとの見解を表明している。
しかしながら、証拠(<証拠・人証略>)によると、高架道路部分とトンネル部分との、それぞれの一キロメートル当たりに必要とされる維持修繕費及び高速道路改築事業費の比率は、昭和五五年度から平成五年度までの平均が一対三・三三であって、管理費が一〇倍も要することにはならないこと、なお、被告の費用項目について論ずる場合、「予算科目」基準に従い、路線の建設段階において必要となる費用は「工事費」と定義され、「工事費」に対応する概念として路線の開通後において必要となる費用は「維持修繕費」及び「高速道路改築事業費」と定義されており、原告のいうところの「管理費」という予算科目は存しないこと、トンネルの換気設備、消火設備、排水設備、照明装置、火災警報装置、監視用テレビ装置を設置するための費用は、建設段階の工事費に含まれ、開通後の維持修繕費については、それらの機器のメンテナンス費用が含まれるのみであることが認められる。
以上の認定事実によると、原告の本件投書は、管理費について著しく事実に反することを述べたということができる。
原告は、原告のいう管理費とは、維持修繕費はもとより、「高速道路管理費」、「一般管理費のうちトンネル部分管理要員の人件費」、「業務外支出金(トンネル用地買収費の償金)」等をも加えた費用であり、また、換気設備、消火設備、排水設備、照明装置、火災警報装置、監視用テレビ装置を設置するための費用もまた管理費に含まれる旨主張するが、この主張は、通常の「管理費」の概念を逸脱する原告独自の見解であって採用できず、また、仮に、原告のいうところを採用したとしても、これらによって一〇倍の費用を要することを認めるに足りる証拠もない。
(2) 代替地について
原告は、本件投書において、代替地に関し、「代替地は過去、首都高各路線で強く要求されたが、・・・首都公団始まって以来、代替地提供はゼロに近く、ましてや事業用地が多く、地価狂騰の川崎では至難の業だ」との見解を表明している。
しかしながら、証拠(<証拠・人証略>)によると、被告は、用地の取得等の補償は金銭によることを原則としてはいるものの、被補償者の事情等を斟酌してやむを得ないものと判断した場合には、その意向に添った代替地の提供に努力してきたこと、被告が事業を開始した昭和三五年度から同六二年度末までに被告が自ら取得確保した代替地の面積は、累計で一一万四七二六・九七平方メートルであり、このうち、住民などの民間に対して提供した代替地は、三万二九二四・四四平方メートル、一四〇件であること、具体的な提供事例としては、東京都葛飾区東四つ木の民間工場跡地を取得して、四四画地(約五四〇〇平方メートル)を代替地として民間住民に提供したことがそれぞれ認められる。
右認定事実によると、被告が事業を開始した昭和三五年度から同六二年度末までに被告が取得した代替地のうち、住民などの民間に対して提供された代替地は、三万二九二四・四四平方メートル、一四〇件であるというのであるから、本件投書は代替地について著しく事実に反することを述べている。
原告は、本件投書においていうところの代替地とは、民有地を取得するために提供される代替地を指しているのであり、公有地を取得するためのそれを指していない旨主張するが、この代替地概念は原告独自の見解によるものであって採用できない。
(3) 川崎縦貫道(一期)についての国道四〇九号ルート路線の選定の最適性
原告は、本件投書において、川崎縦貫道は用地確保の難易性、工期の長短、経済的効果等の観点において優れている多摩川河川敷利用とすべきであるとして、国道四〇九号ルート路線の選択に批判を加えている。
そこで、協議会において国道四〇九号ルートが選択された理由をみるに、証拠(<証拠・人証略>)によると、次のとおりであることを認めることができる。
協議会において技術的検討が行われたのは、<1>国道四〇九号ルート、<2>国道一三二号ルート、<3>多摩川右岸堤防沿いルート、<4>多摩川河川敷ルート(高架構造の場合及びシールドトンネル構造の場合)であり、そのルートは別紙ルート比較図<略、以下同じ>のとおりである。
国道四〇九号ルートは、その構造は、富士見町出入路から大師付近までの間は別紙断面構造図<略、以下同じ><1>の堀割構造(但し、大師インターチェンジ関連部分はトンネル構造)、大師付近から浮島までの間は<2>の高架橋造である。このルートは、現存する道路を利用することから、首都高速横羽線、産業道路、国道一五号といった主要な道路とのアクセスがよく、また、建設中の東京湾横断道路とは東京湾を渡って浮島に取り付き直結するなど、効率的なネットワークを形成できるという利点があるとされた。用地買収については、住居地域で一部を拡幅するために必要であるが、その面積は、当初の計画で、約一七ヘクタール、支障家屋は四〇〇から五〇〇件、その後、構造を一部蓋掛方式にした結果、買収面積は約一四ヘクタール、支障物件は全体で約一六〇件、一般住宅が約一二〇件、工場が約四〇件と、比較的少なくて済むほか、当該地域への環境面での影響も環境施設帯を設けることで対応が可能であるとされた。
国道一三二号ルートは、その構造は、富士見町出入路から首都高速横羽線付近までの間は別紙断面構造図<6>の半地下構造、首都高速横羽線付近から東京湾岸道路までの間は同図<2>の高架橋造である。このルートが、国道四〇九号ルートに比べて劣っているのは、東京湾横断道路が取り付く場所が別紙ルート比較図<1>である一方、このルートの起点が同図<2>となるので、国道一三二号ルートは東京湾横断道路と直結することができず、効率的なネットワークを形成することができない点である。用地買収については、主に工場地帯や既成市街地を通過するため、現道の両側拡幅が必要となり、用地買収面積が国道四〇九号ルートの当初計画に比べて約二割増、支障家屋数は約二倍となる。また、京浜運河を横断する部分、すなわち別紙ルート比較図<3>において一キロメートル近いトンネル施設が必要となるため、多額の事業費が必要となると考えられた。
多摩川右岸堤防沿いルートは、浮島から殿町出入路付近までは国道四〇九号ルートと同じで、その構造は、別紙断面構造図<2>の高架橋造であり、その後、多摩川右岸方面にシフトして堤防沿いに進み、その構造は同図<5>の高架橋造である。このルートの問題点は、国道四〇九号から多摩川右岸方面にシフトする部分、すなわち別紙ルート比較図<4>において、大規模な工場地帯を横断することとなり、また、堤体の安全性確保のため堤防に沿って帯状の民地を必要とするので、用地買収面積は国道四〇九号ルートの当初計画の約四割増、支障家屋数は約二割増となることである。また、首都高速横羽線、産業道路、国道一五号といった主要な道路とアクセスする部分でランプを設置するため、河川敷内から河川敷外に道路を引き出したうえでアクセスすることとなり、その引出し部分について大規模な用地が必要になると考えられた。
多摩川河川敷ルートは、浮島付近までは国道四〇九号ルートに沿い、その後、多摩川にシフトして河川敷を通るルートであり、その構造は、多摩川沿いの部分全部を別紙断面構造図<3>の高架橋造にする場合と、多摩川沿いの部分全部を同図<4>のシールドトンネル構造にする場合とがある。
前者の高架橋造にする場合、高速道路の橋脚を河川の中に建てることになるため、「河積阻害」が生じ、洪水の「疎通能力」の低下を招くことが最も大きな問題とされた。水路の断面における水の占める面積が減少し、洪水が起こった際、水を通過させる能力が低下してしまうので、堤防のかさ上げが必要になるなど、治水上問題となるのである。また、橋脚により水流が乱れるため、橋脚周辺や近くの堤防に「洗掘(乱水流により土石等が削られる現象)」が生ずることも、堤防や橋脚の安全性を低下させるが、特にインターチェンジを河川内に設置する場合には、多くの橋脚が集中的に設置されるため一層大きな問題があると考えられた。
後者のシールドトンネル構造にする場合には、トンネルの深さが四〇メートルにも達するため、既設幹線道路との高低差が五〇から六〇メートルとなり、インターチェンジを設置するために大規模な用地が必要となることが最も大きな問題と考えられ、このため、高速横羽線、産業道路、国道一五号といった主要な道路とのアクセスが非常に困難となるほか、インターチェンジやランプはその構造が複雑でシールド工法が無理なので、開削工法(地表から掘り進め建設後再び埋め戻す工法)によることとなるが、これを現に水が流れている河川敷内で行うことは治水上非常に問題があると考えられ、さらに、国道四〇九号ルートから多摩川河川敷方面にシフトする部分、別紙ルート比較図の<5>において工場地帯を横断する関係で、国道四〇九号ルートの当初計画に比べ支障家屋数は少ないものの、用地買収面積は約六割増、事業費は三ないし四倍となると考えられた。
以上のとおりの検討の結果、協議会は、第三回協議会において川崎縦貫道(一期)のルートを国道四〇九号沿いとする旨合意したのである。
以上の認定事実によると、協議会は、川崎縦貫道(一期)建設については、四つのルートを検討したが、国道四〇九号ルートが効率的ネットワークの形成、用地買収及び環境面の観点において優れているとして同ルートを選択したというのであり、原告の提案にかかる多摩川河川敷ルートは、高架橋構造、シールドトンネル構造のいずれにせよ治水上の問題があり、とりわけ後者にあっては用地確保、他の主要道路とのアクセス、事業費等において難点があったというのである。
ところが、原告は、本件投書において、多摩川河川敷ルートを用地確保の容易性、技術的にも問題がないことなどから選択すべきであった旨述べている。
しかしながら、原告のあげる海での事例と治水が問題となる多摩川とは事例を異にし、治水上の問題があることは前記のとおりである。また、原告は、河川内に道路を建設することも技術的には問題のないこととして、荒川と中川を分ける背割堤防を利用して建設した葛飾江戸川線や隅田川沿いの六号向島線等の事例をあげるが、(人証略)の証言及び弁論の全趣旨によれば、葛飾江戸川線の堤防は「背割堤防」と呼ばれる堤防であり、荒川と中川を分割しているだけであって、洪水を防ぐ役割を担うのは、さらに両側の本堤であるから、背割堤本体を利用して河川を縦方向に占用しても洪水対策という観点において問題はなく、また、隅田川沿いの六号向島線等については、これらが多摩川に比べ河川規模も小さく、しかも、多摩川が土堰堤であるのに比べ、これらはコンクリートの堤防であるため、橋脚と一体構造とすることができることから治水上の問題はないなど、いずれも多摩川とは条件を異にしていることが認められる。
したがって、本件投書の右部分は不相当な見解表明であったといわざるを得ない。
(三) 被告の名称又は職名使用について
原告は、本件投書を「道路公団勤務菊池哲夫五七歳」としてなしているのであるから、本件投書内容を読んだ一般読者にとってはこの内容から本件投書が被告に勤務している職員によってなされたと容易に判断することができるといえる。
(四) 本件投書の影響
証拠(<証拠・人証略>、原告本人尋問の結果)によると、本件投書によって次のとおりの影響が発生したことを認めることができる。
本件投書が神奈川新聞に掲載されたのは、都市計画事前説明会の直後であった。
このようなことから、本件投書の二日後の昭和六三年九月五日に開催された川崎市議会の「川崎縦貫道路等に関する特別委員会」において、本件投書が取り上げられ、委員である近藤議員から川崎市に対し、「ここにこうやって被告の人が出ているということは、まだ、(国道四〇九号ルート以外のルートを選択する)余地があるのではないだろうかということで、大変混乱を招くのではないだろうか」、あるいは「こういう記事が出るということは、市民が大変惑わされるといいますか、混乱をされるような内容でございます。たまたま出た人が道路公団ということでございますから、(川崎市、建設省、首都高速道路公団が)三位一体でやっているのに、道路公団の人がこう言っているではないかということになるわけです・・・・。」等の質問がなされ、「市当局あるいは建設省、道路公団、(省略)私から見れば、意見が一致されていないのではないかなとも見受ける」と、協議会のメンバーの意見の不一致について見解を質された。
また、協議会の他のメンバーからも、被告に対する厳しい非難が行われた。まず、投書の三日後の同月六日に川崎市土木局広域交通対策室から被告計画部長に対して電話で、同月八日に同じく川崎市土木局広域交通対策室から被告計画部第二計画課長補佐及び被告湾岸線建設局川崎縦貫線調査事務所長に対してアセス関係の調整会議の席上で、同月九日に建設省関東地方建設局川崎国道工事事務所から被告湾岸線建設局次長に対して電話で、それぞれ強い非難と遺憾の意が伝えられた。その内容は、協議会のメンバーである各関係行政機関が都市計画決定に向けて日夜努力しているにもかかわらず、協議会の一員である被告の職員がこのような投書を行うと都市計画手続に大きな支障をきたし、非常に迷惑であるといったものであった。将来の事業予定者である被告に対し、関係行政機関がこのような非難を行うことは異例のことであって、この結果、被告は協議会における立場と発言権を弱めた。
さらに、住民は、これまでの説明に著しい不信感を抱き反対運動が再燃した。国道四〇九号ルートは、関係行政機関の中でも意見統一がなされておらず変更の余地があるのではないかとの問い合わせが被告や川崎市等に対して寄せられた。地域のまとめ役でオピニオンリーダーでもある町会長などの有力者からの叱声も激しく、即日、被告、川崎市、建設省の職員が訪問して説明に努めた。その結果、平成元年一月頃には沈静化の兆しがみえたが、地元関係者の理解を深めることを目的として、同年三月二六日に「川崎縦貫道路の都市計画に関する説明会」を開催した。
その他被告内部においても、本件投書によって監督官庁である建設省等から記載事実についての膨大な資料提出を要求されて、その対応におわれたほか、被告湾岸線建設局長は、昭和六三年九月三〇日付け神奈川新聞オピニオン欄に、「十分検討した川崎縦貫道路」と題する見出しの、原告の本件投書に対する反論を内容とした投書を行った。
(五) 地元関係者や関係各方面に対する多大な混乱の有無、被告の名誉のき損と業務遂行上の支障の有無(就業規則四条一号の有無)、被告の職場秩序紊乱の有無(同五号の有無)。
本件においては、前記のとおり、本件投書により、国道四〇九号ルート沿いの住民から反対運動が再燃し、また、関係諸機関等からクレームが寄せられたこと、被告はこれに対応すべく、被告の湾岸線建設局長が反論の投書を投稿し、また、被告の職員らにおいて、住民らの理解を得るために説明会を行うなど説明に努めたほか、その他被告内部においても、本件投書によって監督官庁である建設省等から記載事実についての膨大な資料提出を要求され、その対応におわれたことなどが認められるのであって、以上の諸点に鑑みれば、原告は、本件投書により、地元関係者や関係各方面に多大な混乱を生じさせ、このことによって、被告の業務の遂行に支障を生ぜしめ(就業規則四条一号)、職場秩序を著しく乱した(就業規則四条五号)ものというべきである。
3 本件懲戒停職処分と社会的相当性
原告は、法秩序のうえで許容された社会的に相当な行為は、就業規則においても禁止行為の対象とすることはできず、単に客観的・外形的に就業規則の禁止行為に該当したとしても、直ちに就業規則違反であると判断することはできないから、本件投書が法秩序で許容された相当の理由に基づいてなされたものである限り、仮に、それが外形的に就業規則に違反したとしても、何ら懲戒処分を行うことはできない旨主張する。
なるほど、就業規則の文言に形式的には違反するようであっても、当該就業規則の趣旨等に照らし、就業規則違反が問われない場合があることは原告主張のとおりであるが、原告のいう「法秩序で許容された相当の理由」なる趣旨は必ずしも明らかでない。
ところで、従業員は、労働契約上の付随義務として、企業秩序を維持遵守すべき義務(誠実義務)を負い、使用者は広く秩序を維持し、もって企業の円滑な運営を図るために、その雇用する従業員の企業秩序違反行為を理由として、当該従業員に対し、一種の制裁罰である懲戒処分を行うことができる。そして、企業秩序の維持確保は、通常は、従業員の職場内または職務行為に関係のある行為を規制することにより達成し得るが、従業員の職場外でなされたその職務には関係のない行為であっても、企業の円滑な運営に支障をきたすおそれがあるなど、企業秩序の維持に関係を有すれば、従業員は労働契約上誠実義務を負う一方、使用者は企業秩序の維持確保のためにこのような行為をも規制の対象とし、これを理由として従業員に懲戒処分を行うことも許されると解される。
したがって、本件投書のように、従業員が職場外で新聞に自己の見解を発表等することであっても、これによって企業の円滑な運営に支障をきたすおそれのあるなど、企業秩序の維持に関係を有するものであれば、例外的な場合を除き、従業員はこれを行わないようにする誠実義務を負う一方、使用者はその違反に対し企業秩序維持の観点から懲戒処分を行うことができる。そして、ここにいう例外的な場合とは、当該企業が違法行為等社会的に不相当な行為を秘かに行い、その従業員が内部で努力するも右状態が改善されない場合に、右従業員がやむなく監督官庁やマスコミ等に対し内部告発を行い、右状態の是正を行おうとする場合等をいうのであり、このような場合には右企業の利益に反することとなったとしても、公益を一企業の利益に優先させる見地から、その内容が真実であるか、あるいはその内容が真実ではないとしても相当な理由に基づくものであれば、右行為は正当行為として就業規則違反としてその責任を問うことは許されないというべきである。
本件の事実関係は前記のとおりであって、本件全証拠に照らしても右例外的な場合に該当する事情は認められないから、この点に関する原告の主張は理由がない。
4 裁量権逸脱の有無
(一) 他事考慮
原告は、被告の本件懲戒停職処分の真の理由は本件投書や過去の投書にあったのではなく、原告が昭和六三年一〇月二三日付けで本州四国連絡橋公団総裁宛の手紙(<証拠略>)について同総裁が不快の念をもったため、被告が同総裁の「御機嫌取り」のためであった旨主張するが、本件全証拠に照らしても、原告の右主張を認めるに足る証拠はない。
(二) 処分の軽重
原告は、本件懲戒停職処分にあっても工場法解釈例規(大正一五年一二月一三日発労七一号)に照らし、「出勤停止は、七日を限度とすること」を今日でも一応の標準とすべきである旨主張するが、出勤停止の期間については、当該行為の性質及び態様・動機等により一定の制限のあるべきことは当然であるが、七日を限度とすべきとするのは、原告の独自の見解に基づくものであって理由がない。
また、原告は、被告においては、同じ不祥事でありながら、懲戒されなかったり、軽い懲戒で済まされた事例が存し、しかも、本件投書行為はこれらの過去の事例と比較すると性格を異にし、被告が本件投書行為を懲戒処分の対象としたことは筋違いであり、処分を誤ったものである旨主張する。
しかしながら、使用者は懲戒処分に当たって、いかなる処分を選択するかについては裁量を有するのであって、その処分が、動機、態様、損害の程度、使用者の業務に及ぼした影響等の諸事情に照らし、社会通念上妥当性を欠きその裁量を逸脱したと認められる場合に限って、懲戒権の濫用として違法となるものと解されるところ、本件投書によって、被告の業務の運営に対し前記のとおりの重大な支障が生じていることや、証拠(<証拠・人証略>及び弁論の全趣旨)によれば、原告は、従来から被告業務に関し投書行為を重ね、これに対し、被告が、口頭注意、文書による警告等を通じて自制を求めていたにもかかわらず、あえて本件投書行為を行っていることなどが認められるのであって、これらの本件における諸事情を総合考慮すれば、被告が原告に対し、停職三か月の懲戒処分を行ったことは、処分として必ずしも重きにすぎるとはいえず、その裁量を逸脱するものとはいえない。
なお、原告は、被告における過去の懲戒処分事例と比較し、本件懲戒停職処分が過重である旨主張するが、争いのない事実、(証拠略)並びに弁論の全趣旨によれば、被告における懲戒処分事例は、いずれも本件とは事案等を異にするから、原告の右主張は採用できない。
5 本件懲戒停職処分手続の正当性の有無
原告は、本件懲戒停職処分手続には瑕疵があり無効である旨主張し、この理由として、第一に、国家公務員と地方公務員の不利益処分については事後審査制度があり、被告にはその制度が全く欠落しているとする。
しかし、懲戒処分の発動にあたっては手続的な正義が要求されるものの、事後審査制度がなければ手続的な正義が損なわれるとはいえないから、原告の右主張は理由がない。
また、原告は、本件懲戒停職処分の理由について、被告から本件投書に関する説明しか受けておらず、その他の文書に関する説明が全く欠けており、特に、本件懲戒処分理由書(<証拠略>)には「昭和六二年一二月一八日付けをもって、人事部長から文書をもって警告を受けたにもかかわらず」という記載があって、過去に警告を受けたことが懲戒処分理由になっているにもかかわらず、当該警告の対象となる投書については、本件懲戒処分書の交付を受けた際にも、また当該警告書交付の際にも、具体的な摘示は受けていない旨主張するが、証拠(<証拠・人証略>及び弁論の全趣旨)によれば、右警告書交付の際、被告は原告に対し、具体的な指摘をしていると認められるから、この点に関する原告の右主張も理由がない。
さらに、原告は、警告書の対象となった建設大臣宛て投書及び会計検査院宛て投書が各特定官庁に宛てた手紙文書であり、両官庁においてはこれを守秘する義務があるのに、被告は当該守秘義務に違反する両官庁から投書を違法に収集し、それを証拠として、警告し、また警告をしたことを理由の一つとして本件懲戒停職処分を行っている旨主張するが、本件全証拠に照らしても、被告の右各文書の収集過程に違法があったとは認めることはできない。
なお、原告は、懲戒処分書交付の際、被告が多数の人員を動員し、原告の意思を無視して拉致同然に連行し、また、被告の人事部長が本件懲戒停職処分に関係のない事項まで持ち出して、原告の行動を拘束しようとし、脅しにも等しい発言を行っているとも主張するが、本件全証拠に照らしても、原告主張にかかる右事実はこれを認めることができない。
証拠(<証拠・人証略>及び弁論の全趣旨)によれば、被告人事部長が原告に対し行った説明の中で、本来ならば懲戒免職とされても決して過重な処分とは言えないが、原告の将来を考慮し、停職処分としたこと、今後原告に同様の行為があれば懲戒免職にする場合もあること、懲戒免職になった場合は退職金が支払われない旨述べている事実は認められるが、これは原告に慎重な行動を求めるためのものということができ、「脅し」を目的としたものとは認めることはできない。
6 就業規則四〇条、労働基準法九一条違反の有無
本件懲戒停職処分にあって、「この(停職)期間中の給与(年末特別手当を含む)は支給しない」とされたこと、原告に対し本件懲戒停職処分中の月例給与はもとより、支給基準日昭和六三年一二月一日、支給日同月九日の同年の年末特別手当が支給されなかったことは当事者間に争いがない。
ところで、原告は、昭和六三年年末特別手当の支給をしないとしたことは就業規則四〇条、労働基準法九一条に違反する旨主張する。
しかしながら、被告においては、給与規程一五条二項により、特別手当の額は、職員の勤務成績を考慮してその都度定めるとされているところ、被告理事長は、昭和六三年一二月八日、就業規則四〇条の規定により停職中の職員に対し、昭和六三年度年末特別手当を支給しない旨決裁しているのであるから、被告が原告に対して、右年末特別手当を支給しない旨の措置をなしたことは相当であり、この点に違法はない。
原告の主張のうち、労働基準法九一条違反をいう点については、停職に伴い特別手当の支給を受けられないことは、右給与規程に基づく理事長決裁によるものであって、就労した場合に通常の支給額以下の給与を支給することを定める減給の制裁に関する労働基準法九一条の規定の場合とは異なるから、理由がない。
また、就業規則四〇条違反をいう点についても、就業規則四〇条は停職期間中の給与は支給しないと定めているにすぎず、停職期間中の者に対し、就業規則や給与規定(ママ)の他の規定により特別手当等が支給されない場合までをも排除するものではないから、理由がない。給与規程二条が、職員の給与は基本給及び諸手当であると定義する一方、同条二号が「諸手当」の中に「特別手当」を包含し、また、給与規程一五条二項が、特別手当の額を、職員の勤務成績を考慮してその都度定めるとしていることに照らすと、就業規則四〇条の「停職処分」は、期間中の月例給与のみを支給しない場合に限らず、特別手当をも支給しない場合も併せて規定しているものと解される。
したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。
四 不法行為に基づく損害賠償請求権の存否
本件懲戒停職処分にはその事由が存するばかりか、相当な処分であることは前述したところから明らかであるから、これが違法であることを前提とする原告の損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
第四結論
以上のとおりであるから、主文のとおり判決する。
(裁判官 合田智子 裁判官 三浦隆志 裁判長裁判官林豊は転補のため署名捺印することができない。裁判官 合田智子)